千と千尋と金具屋たてもの論
金具屋はモデルなのか?
金具屋はモデルなのか?
結論
2001年7月の「千と千尋の神隠し」公開以降、『金具屋の建物が湯屋のモデルなのではないか』という噂が広まっていき、国内だけでなく海外からの問い合わせや、世界ふしぎ発見などのメディアでも映画とからめて取り上げられました。2025年の現在でもこの噂は続いていますので、うわさ75日どころか25年も続いています。
実際のところはわかりません。
しかし2018年に、「千と千尋」に参加したアニメーターさんが金具屋に泊まりに来た際に話を伺ったところ、映画を制作するにあたり、宮崎駿監督から『湯屋はこのような建築様式で描く。それはこういう建物で―』と現存する建物の写真を使って多数のアニメーターに説明する際に金具屋が含まれていた、ということでした。
「モデルにしたのではなく、建築様式の参考として使用された」
そして、
『あのような建物はどこにでもあったのだ』
という宮崎駿監督の言葉が結論となります。
以降、私、九代目の視点での文章となります。
(この記事は2020年に金具屋九代目ブログに投稿したものを再編集したものです)
九代目たてもの論
2001年、千と千尋が公開される年の4月に、私は大学を卒業して宿にはいりました。直後に雑誌の取材があり、特別ゲストとして書籍「建築探偵シリーズ」や「ニラハウス」「空飛ぶ泥舟(茶室)」で有名な藤森照信さんが金具屋に来て下さいました。
一緒に館内を巡りながら金具屋の建物を面白く、興味深く説明していただきました(現在行っている文化財巡りをはじめたきっかけです)。
2014年に藤森照信先生が監修された「ジブリの立体建造物展」が小金井で開催され観に行きました。展示場となった江戸東京たてもの園には、【看板建築(様式)】の建物が移築されています。
そして2016年、今度は長野県信濃美術館で「ジブリの立体建造物展」が開催されることになりました。ここでは千と千尋の湯屋の巨大なジオラマがあり、湯屋は【擬洋風建築】なのだと藤森先生が解説されていました。
藤森先生は【看板建築】と【擬洋風建築】これが千と千尋の「向こうの世界」を構成する建物であるのだと探偵されていました。
これは私見ですが、千と千尋の「向こうの世界」のものはこちらの日本ではなくなってしまった神様や文化や風俗なのではないかと。したがって建物の建築様式もこちら側ではなくなりつつあるもので描いた。ということなのではないかと思っています。
湯屋と金具屋斉月楼の共通点は、地面から寸胴に立っていて、内部に吹き抜けがあり、端から端まで大屋根が乗っている。これを藤森先生は擬洋風建築と呼びます。実はこれは珍しいものではなく、当時全国で盛んにつくられていたものでした。目黒雅叙園の百段階段や富士屋ホテルの花御殿、台湾のキュウフンもほぼ同じ時代に日本の宮大工たちが造ったもので同様の姿をしています。
立体建造物展の初日に特別講演として藤森先生のジブリの建物についての講演があり、参加した私は先生になぜ擬洋風建築が戦後つくられなくなったのかを質問しました。
―とにかく擬洋風建築には合理性がない、経済の成長にしたがって、新たな材料がつくられ、より効率よく建物を建てることが最優先されるようになった為だろう
ということでした。
都市部にあった多くのものは戦争で焼失したそうですが、戦火を免れた建物も、時代に合わぬものとして次々と取り壊されていきました。
これらの建築は、華やかな一瞬の時代の産物だったといえます。
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「千と千尋の神隠し」この映画が製作されたおかげで、我々古い木造建築の旅館の価値が大きく見直されることになりました。高度成長からバブル期にはただただ古くみっともないものだったのが、世界に誇れるものとなったのです。この映画がなかったら、さらに多くの木造旅館が姿を消していたと思います。
今後もこの建物を後世に伝えていくことを、感謝の気持ちに代えさせていただき、私の金具屋たてもの論としたいと思います。
メイン画像は(c)スタジオジブリ(2020年に使用可能になったもの)

